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スターリング (スコットランド) : ミニ英和和英辞書
スターリング (スコットランド)[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

スターリング (スコットランド) : ウィキペディア日本語版
スターリング (スコットランド)[らん]

スターリング(、、 )は、イギリススコットランドの都市。歴史上では歴代のスコットランド王の勅許を得た自治都市として有名である。
この街はスターリング城と中世の市街(オールド・タウン)の周囲に居住区が集まるかたちで構成されている。政治、小売業、軽工業の中心地。2001年の国勢調査によれば人口は41,243人であり、スコットランドにおける最も小さな「都市(City)」である。
かつてのスコットランド王国の首都であり、スターリングは1975年まで自治都市の地位にあった。2002年にはエリザベス2世の即位50周年の一環として「都市(City)」の地位を与えられた。
== 歴史 ==
スターリングは、石器時代の集落を起源とし、少なくともローマン・ブリテンの時代までに戦略的に重要な地域となった。なぜなら、この地は守備に適した丘(後にスターリング城が建築される)を持つうえに、フォース川に面しているという地の利を得ていたからである。歴史的には、西暦655年マーシア王ペンダによってノーサンブリア王オスウィが包囲された際、陣を張っていた要塞「Iuddeu」もしくは「Urbs Giudi」が存在していた地として、イングランドの聖職者ベーダの歴史書および同時代の年代記にその存在が記されている。
この地に流れる川は、スターリングを港として機能させ、町に富と権力をもたらした。フォース川は比較的浅く渡河できたが、のちに橋がかけられ、いっそう町の発展に貢献した。この町は12世紀にスコットランド王デイヴィッド1世によって勅許自治都市のひとつとして認可されて以来、後の王たちの治世にもその立場は引き継がれた(町は「Strivelyn」という名で言及されている)。スコットランドイングランドのあいだの長きに渡る抗争のなかで、いくつかの主要な闘いがスターリングで繰り広げられた。スターリング・ブリッジの戦い1297年)と、町からほど近いバノックバーンの戦い1314年)である。
「スターリング」という地名の由来は不明である。
この町は2つのラテン語による座右の銘を持っている。それらは1296年の記録に押された自治都市の印章に見てとることができる。
* ''Hic Armis Bruti Scoti Stant Hic Cruce Tuti'' (''The Britons stand by force of arms, The Scots are by this cross preserved from harms'')
* ''Continet Hoc in Se Nemus et Castrum Strivilinse'' (''The Castle and Wood of Stirling town are in the compass of this seal set down.'')
城の近くにはホーリールード(聖十字)教会が建っている。歴史的にみて、これは町で最も重要な建築物のひとつである。現在のホーリールード教会は、1405年にスターリングを襲った壊滅的な火災の後、1400年代に再建されたもので、ウェストミンスター寺院を除けばイギリスの中で戴冠式が挙行されたことのある教会のうち、たった1つだけ現存しているものである。1567年7月29日に、スコットランド女王メアリーの幼い息子がこの地で戴冠し、ジェームズ6世となった。ジェームズ6世の夭逝した長男ヘンリー・フレデリックチャールズ1世の兄)もこの地で生まれた。17世紀のスコットランド内戦の際には戦地となり、オリバー・クロムウェルの軍隊による銃痕がくっきりと教会の塔と後陣に残されている。
その内戦のさなか、1648年9月12日に、スターリングの戦いがおこなわれた。
スターリングの要塞は、18世紀ジャコバイトの蜂起の際も戦略的に重要な役割を果たし続けたが、ジャコバイト勢力は1715年に城郭の支配権を失った。1746年1月には、イングランドとスコットランドの王を僭称するチャールズ若僭王(通称「ボニー・プリンス・チャーリー」)の軍勢が町を包囲したが、城を攻め落とせなかった。彼らが北方へ撤退する際、軍需品が保管されていたセントニニアンの教会を破壊したため、現在その教会は塔のみが残されている。
経済的な観点からは、リバーサイド地区に建設されたフォース川の港の施設は貿易の要となり、インドからの茶葉の輸入や、バルト海からの木材の輸入に貢献した。鉄道の到来は河川を利用した貿易の衰退を招いた。これはとりわけ鉄道の橋(フォース鉄道橋)が川の下流に設けられたことによるもので、船舶による物資へのアクセスをいっそう困難にしたからである。そのため、20世紀半ばまでには港は操業を停止した。
スターリングの著名な居住者としては、スコットランド女王メアリや、スコットランド王ジェイムス6世(=イングランド王ジェームズ1世)といった歴史上の人物たちだけでなく、近現代でもイギリス前首相ヘンリー・キャンベル=バナマン卿、ドキュメンタリ映画のパイオニアであるジョン・グリアソン、映画音楽の作曲家ミュア・マシソン、アニメーションの先駆者であるノーマン・マクラレン、さらにはテレビ司会者のカースティ・ヤングらを挙げることができる。
バーンウェル兄弟社のフランクとハロルドは、コーズウェイヘッドにあるグランピアン・モーターズで働いていた。彼らは1909年に、スコットランドにおいて最初の動力を用いた飛行機を設計し、かつ飛行に成功したことで有名である。フランク・バーンウェルは、ブリストル・ブレニウム戦闘機をはじめとした航空機の設計に関与した。兄弟の先駆的な業績を称える小さな記念碑が、コーズウェイヘッドの交差点に建立されている。
スターリングはまた、多くの幽霊の出没地としても有名である。城にあらわれるグリーン・レディは多くの兵士によって目撃されている。城の近隣の宿屋 Settle Inn は、スコットランドにおける最も幽霊が出そうな場所として有名である。他にも幽霊が目撃されたパブが複数ある。バー「Nicky tams bar and bothy」や、地元のフットボールチームであるスターリング・アルビオンFCにちなんで命名されたアルビオン・バーなども、心霊スポットとして有名である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スターリング (スコットランド)」の詳細全文を読む




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